れとろぐ

後光暴龍天を目指す音ゲーマーれとり(暴龍天)の日常

坂本の日常、山本の非日常

偽名を使うとき、私はいつも心が踊ります。

 

 

いきなり何を言っているのか、と思った方もいらっしゃるかと思うので、これについて説明していきましょう。

 

毎日同じような生活をしていると、「刺激が欲しい」「非日常を味わいたい」という気持ちは誰しも持つものかと思います。

しかし、生きていくなかで「非日常」を感じる機会はそう多くありません。

日常にないことというのは探しても見つかりづらいもので、自分から「非日常」を感じようとしても意外と難しいものなのです。

それが何故なのか私なりに考えた結果、一つの結論にたどり着きました。

 

「自分が自分であるから」です。

 

「自分」である限りは「自分の世界」から脱することは出来ません。

自分が自分である限り、見つけられる非日常は「自分の世界」の範疇を出ません。

今まで知らなかった自分の世界の事象を見つけて非日常が味わえたとしても、何れその未知の事象は少なくなっていくことでしょう。未知の事象が無くならなかったとしても、次第に見つかりにくくなるのは間違いありません。

ならば、マンネリ化してきた日常の中、手っ取り早く「非日常」を味わうには、どうすればいいのか… 聡明な皆様ならもうお分かりですね?

 

「他人」になればいいのです。

 

他人になれば、自分の世界から抜け出して、まるっきり何も知らない「他人の世界」を見ることが出来ます。そこで経験することは全て未知、まさに「非日常」のオンパレードです。

しかして、私には変装能力もなく、ましてや変身能力など欠片も持っていません。

そんなただの人間がどうしたら「他人」になれるのか… 聡明な皆様ならもうお分かりですね??

 

「偽名」を使えばいいのです。

 

かくして、冒頭の一文が解明されつつあるわけですが、決して私は偽名を使って詐欺的行為を働いたりしているわけではありません。

卑近な例を上げれば、Twitterも偽名を使うものの一つでしょう。

偽名は他者に対して名乗ることで、より強力に「自分」を「他人」にしてくれますが、それが一番簡単にできる場所が、Twitter、ひいてはインターネットなのではないでしょうか。

今思えば、私がTwitterを12年近く続けているのも、自分の本名を捨て、自分の世界を離れられる手っ取り早い手段だからかもしれません。

 

ただ、残念なことに、人生の半分近くもTwitterを続けて来たがために、「山本 れとり」という名は私の「第二の本名」となりつつあり、彼の世界は私の世界と融合しつつあります。というより、「山本 れとり」という名前を使ってこんな記事を書いている時点で、もう融合しきっているのかもしれません。

インターネットの偽名も自分の世界に取り込まれた今、他者に対して名乗らなければ意味が殆どない偽名に、意味を持たせられる場は限られます。

 

 

その一つが、「あるお店」です。

 

 

「あるお店」では、予約の際に名前を聞かれます。ここで偽名(仮に坂本としましょう)を使うことで、私は私でも山本 れとりでもない「他人(坂本)」であることが確定し、この偽名が大いなる意味と効力を持ちます。

更に、その「お店」では私を「坂本」として認識している「店員」と、「店内」もしくは「それに準ずる部屋」で二人きりになります(「裏技」を使えば三人以上になることも可能です)まさに、「坂本」と「店員」だけの世界ができあがるわけです。こんなにも確固たる非日常が他にあるでしょうか?いいえ、ありません。(反語)

加えて、その「店員」は「坂本」が選ぶことが出来ます。「店員」を選べる「お店」、これもまた非日常です。(「坂本」はより非日常を演出するため、毎回違う「店員」を選びます)

極めつけに、その「店内」では日常では起こり得ないような様々な「事象」が起こります。もしその「事象」に色をつけるとしたら、間違いなく「ピンク色」でしょう。(個人的見解です)

「ピンク色」の「事象」が起きることだけでも珍しいにも関わらず、選んだ「店員」と二人きりの世界を味わうことまで出来るこの「お店」は、まさに究極の非日常を与えてくれる場、と言えるのではないでしょうか。

そんな「お店」で偽名を使って「他人の世界」を味わった日には、究極を超えた、まさに「天にも昇る」非日常を味わえることは間違いありません。「自分の世界」を「飛び出し」て、さらなる「高み」へ…

偽名が、インターネットを遥かに超える「非日常」を生み出してくれる場が、その「お店」なのです。

 

 

その「お店」で偽名を使ったとき、「究極を超えた非日常」が始まるから。

偽名を使うとき、私はいつも心が踊るのです。

 

 

日曜日、「坂本」だった私は、こうして日々の生活に「色」を付けていたのでした。

 

 

 

 

 

私が偽名を使って「あるお店」に行くのは、日常を飛び出して「究極を超えた非日常」を味わうためであり、ただ本名を使いたくないからとか、ただなんとなく「欲」が出てきたからではないということ… 聡明な皆様ならもうお分かりですね?お分かりですよね??

 

 

 

 

 

(実質的The DAY 2nd season)